
中国のその昔の、えらいさん同士の会話にこんなことがあるそうで・・・
ある時、荘子が恵子と一緒に川のほとりを散歩していた時の話。
恵子は物知りで、議論が好きな人であった。二人が橋の上に来た時に荘子が言った。
「魚が水面にでて、悠々と泳いでいる。あれが魚の楽しみというものだ」
恵子は、たちまち反論する。
「君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずがないじゃないか」
荘子曰く、
「君は僕じゃない。僕に魚の楽しみが分からないということが、どうしてわかるのか」
恵子はここぞとばかり言う。
「僕は君でない。だから、もちろん君のことはわからない。
君は魚ではない。だから君には魚の楽しみがわからない。どうだ、僕の論法は完全無欠だろう」
そこで荘子は答える。
「ひとつ、議論の根元にたちもどって見ようじゃないか。
君が僕に『君にどうして魚の楽しみがわかるか』ときいた時には、
すでに君は僕に魚の楽しみがわかるかどうかを知っていた。
僕は橋の上で魚の楽しみがわかったのだ」
ややこしいですねー。頑固者の屁理屈の応酬ですねー。
禅問答のようでいて、哲学のようでいて、科学者同士の会話のようでもありますね。
子供同士の喧嘩のようでもあるし、良くできた漫才のようでもある。
科学的見地からすると、存在しないことが実証されていないことは排除しない。
とするか、あるいは、一切信じないとするか。と言う話だそうです。
いずれにしよ、あまり独りよがりにならずに生きていきたいものです。
今日も、のぞいてくれてありがとうございます。
ややこしいことはちょっと苦手な、土日ライオンです。
08/06/30/庭師
今週末、7月5日(土)6日(日)は「テンプラガレージ展」を開催します。
お近くにお立ち寄りの際、ぜひ遊びに来てください。
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